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反出生主義 vs 反出生主義:無生殖協会の共同設立

 

2020年から、私は以前よりもはるかに積極的にアンチネイタリズム(AN/反出生主義)とそれに関連する考えをTwitterで発信(と言うと大袈裟かも知れないが)するようになっている。

AN関連の話題を呟くアカウントのフォロー数も増え、私のタイムラインはAN色の濃いものになった。

昨年発足した国際団体「Antinatalism International」(ANI)のDiscordサーバーに加わり、今はANIでのボランティア活動として "An Antinatalist Handbook: Resoponces to Common Natalist Excuses" の日本語版の翻訳を担当している。

 

この動きは私個人や英語圏だけにとどまらないようだ。

『現代思想』2019年11月号が反出生主義を取り上げたことや、森岡正博氏の『生まれてこないほうが良かったのか?——生命の哲学へ!』が大手マスメディアで紹介されたことをきっかけに、ここ最近ANの認知度や関心が日本語圏で著しく向上したように感じられる。

2021年1月31日までの5年間にわたる日本での「反出生」「反出生主義」検索回数の推移


このGoogle Trendsのグラフで「反出生」「反出生主義」ともにピークに達しているのが、ちょうど『現代思想』の当該号が発刊された頃だ。

全体の傾向としても、検索数は概ね増加し続けている。

認知度が向上した分だけ直ちにANの支持者が増えるわけではないが、我々は苦痛最小化というANの目標達成に向けて少なくとも後退してはいないと考えて良いだろう。 

 

「じゃあ自殺すれば?」

 

それでも、ANの認知度向上の過程で無駄な誤解を生んでしまうことは避けたい。

認知度向上は支持者増加の手段であり、支持者増加は苦痛最小化の手段である。

支持者が増えない仕方での認知度向上は目的に適わず、無駄に我々の仕事を難しくするだけだ。

 

毎日新聞がANの記事を掲載して大きな反響を呼んだ日、私はあるインフルエンサーの記事への反応に憤慨してこのツイートをした。

 

 

ろくに調べもせず思考停止してツイートするインフルエンサーへの怒りではない。

日本語で「反出生主義」と呼ばれるものを公に扱ってきた日本語話者たちの雑な仕事がもたらした(と私が思った)、「反出生主義は『私は』生まれなければよかったのにという思想である」という誤解——と敢えてここでは言い切ってしまおう――が生まれやすい環境への怒りである。

 

この一件で、私は「反出生主義 vs 反出生主義」とでも言うべき重要な問題の存在をはっきりと認識した。

ANを(支持するか否かに拘わらず)積極的に扱うヒトたちが皆同じものを指して「反出生主義」と言っているとは限らない。

例えば前述の森岡氏は、『生まれてこないほうが良かったのか?——生命の哲学へ!』のまえがきでこう述べている。

 

本書では、反出生主義のうち、自分が生まれてきたことを否定する思想を「誕生否定」と呼び、人間を新たに生み出すことを否定する思想を「出産否定」と呼ぶことにしたい。……(中略)……私が本書で重点的に検討してみたいのは前者の「誕生否定」の思想についてである。すなわち、「私は生まれてこないほうが良かった」という考え方である。(森岡 2020, 14)


 

「反出生主義は現在と未来だけでなく過去にも正しかった」という意味で「私は生まれるべきではなかった」=「私の親が私を生んだのは過ちだった」とする “誕生否定っぽく表現できる出産否定” は、これから新たな意識が生まれないようにして苦痛最小化を目指す我々の反出生主義に一切矛盾しない。

しかしその反出生主義が純粋な誕生否定を含むことは絶対にない。

我々は「まだ存在していない意識たちを存在しないままにしておく」という今からでもできる防犯対策としてANの支持者を増やそうとしているのであって、我々自身が誕生否定を “乗り越える” 自己満足プロジェクトの賛同者を募ろうとしているのではないのだ。

思考停止人間が「じゃあ自殺すれば?」と応答できてしまうような “自己満足プロジェクトを含む反出生主義” の定義の仕方は反出生主義の支持者増加を妨害し、将来生まれる新たな意識たちが苦痛を感じるという現実的な害悪を引き起こし得る。

そこで考えられる施策は、以下の2つである。

 

  1. 森岡氏の「誕生否定」を反出生主義から排除する=誕生否定の反出生主義からの立ち退きを要求し、新しい名前を使ってもらう
  2. 森岡氏の「出産否定」にあたるものだけを反出生主義として扱おうとしている我々が「反出生主義」の名前を使うことをやめ、別の名前で苦痛最小化活動を続ける

 

立ち退き要求の正当性

 

「誕生否定は反出生主義から退去しろ」という要求は、森岡氏と彼の活動を支持する人々から見れば迷惑千万であろう。

しかし、私はこの立ち退き要求には正当性があると考える。

前述したように、反出生主義が「『私は』生まれない方が良かった」という個人的な考えである、またはそのような意味も含まれると思われてしまうと、既存の反出生主義主義者たちの掲げる「反出生主義」の意味が伝わりにくくなって目標達成が困難になり、結果としてより多くの意識たちが作られて苦痛を感じる可能性に晒されるからだ。

すでに多くの日本語話者が反出生主義という確立されたタームを使って苦痛最小化の実践を訴えている今、悪意がなくても学問の一分野から不用意に反出生主義をこねくり回して苦痛最小化を妨げてしまうことは、(ほかの表現の仕方を見つけられなかったのでかなり強い言い方になってしまうが)ほとんど業務上過失傷害罪にあたると言ってもよいのではないか。

 

私が強調しておきたいのは、作られることを我々が防げたはずなのに作られてしまう意識たちはそれぞれクオリア——純粋で自明な悪性を持つ主観的な経験の質である苦痛を感じる能力——を持つということである。

このブログポストを読んでいるあなたと同じように、彼らもそれぞれ「本人」として彼らのlife(人生/熊生/鯉生など……そんな言い方ができるのであれば🤷)を直接生きるのだ。

彼らの苦痛はあなたには絶対に分からない。

私にも分からない。

私たちはそれぞれ私たちであることしかできない。

それを知っているから、我々は意識を初めから存在させないことを奨励する立場を「反出生主義」と呼んで発信している。

 

Life Is Real (Song For Lennon) - Queen / Hot Space (Deluxe Edition 2011 Remaster) / 1982

 


引っ越しへのご招待:無生殖主義へようこそ

 

私は立ち退き要求の正当性を擁護するが、少なくとも私と無生殖協会は実際にその要求を相手方に突きつけることはしない方針を固めた。

我々は誕生否定を含む反出生主義の議論やヒトだけを対象とする差別的な反出生主義者と決別し、意識を持ち得るものを等しく対象とする真に目的志向的な反出生主義的立場を「無生殖主義」と呼び、その実践を奨励するために無生殖協会を設立した。

かつてYouTubeでも情報を発信していた古野裕一氏との共同設立である。


 

反出生主義という語が権威ある学者によって純粋に学問的な仕方で扱われ、それがマスメディアを通して大衆に伝わることで我々の活動が誤解されて目標達成が困難になるのであれば、誤解の源を潰そうとすることが普通の対処法ではある。

しかし我々の目的は苦痛の最小化であって、特定の5つの漢字から成る文字列を使い続けることではない。

定義が初めから確立された新語を使うことで我々はこの無用の争いを戦わずして制し、苦痛最小化への障壁を一つ取り除くことができるのではないだろうか。

 

救われたい意識を作らない

 

もうすでに生まれてしまった我々のために無生殖主義ができることがあるとしても、それは安楽死技術へのアクセス権を無条件で保障することくらいだろう。

これはすでに被害を受けてしまったヒトへの賠償でしかない。

私が上のツイートで述べたように、すでに生まれてしまった我々は無生殖主義の恩恵を非存在者に与えるか与えないか選択できる立場にはあるが(与えることを選んでくださいね💦)、もう最も純粋な形で享受する側には絶対に行けない。

 

我々は自身を救うために活動するのではない。

救いの対象がどの時点にも存在しないようにするために活動する。

ただ、自身の絶望や怒りを苦痛最小化活動への熱意に昇華することは可能だと思う——少なくとも私にはそれが機能しているように感じられる時がある。

それが機能しないとしても、誰かがこの活動をしないといけないということに気付いてしまったならば、実はそもそも熱意など必要ない。

我々が苦痛を感じる能力を持つ意識であるという揺るがない事実と、我々がこのヒトの身体に起きているらしい意識でありこのヒト以外にも意識を宿す物質の形態があるらしいという知覚の示唆がある限り、我々は好むと好まざるとに拘わらず苦痛最小化活動をさせられる。

 


引用文献

 

森岡正博、2020、『生まれてこないほうが良かったのか?——生命の哲学へ!』、筑摩書房。

 


無生殖協会は会員を募集しています。

苦痛を感じ得るものの生成を防ぐべきだと考える方は、共同代表までご連絡ください。

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改訂履歴

2021年2月8日 最終章「救われたい意識を作らない」第1段落を微修正
2021年2月16日 最終章「救われたい意識を作らない」を微修正